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    歌舞伎・能・文楽で何が悪い!

    • 2009.03.01 Sunday
    • 20:47
    ある着物雑誌の編集長さんが3年前

    「着物というと、お茶や歌舞伎と言われるのが嫌!」とおっしゃっていた。

    その当時はまだ自分の考えがなかった私

    「そのとおり、そのとおり」とうなずいていた。(←長いものに一応巻かれてみた)

    しかし!

    食わず嫌いはいかんな〜と思い、

    いずれの会にもその後お邪魔させていただいた。

    そして・・・


    びっくりこれは見るべきものだ!」

    それに「着物姿に似合う雰囲気がある!」と、

    いとも簡単に「着物で歌舞伎・能・文楽に着物で行ってみてください」と最近は皆さんにお勧めをさせていただいております。


    でも、日本の伝統芸能は、古臭くって・・・

    と、腰が重いという方に、この今日のブログが何らかきっかけになればと思い、がんばって書いてみました凧

    ~〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
    まずは一番、キャッチーと思われる歌舞伎から・・・

    銀座 歌舞伎座 2月16日(月)

    2月公演、名女形の玉三郎さんの娘道成寺を一度見てみたいと、お手ごろの席を予約。


    娘道成寺は踊りの舞台なのですが、私の最も楽しみは、衣裳の早変わり!



    私の記憶が正しければ、以下のように3回の衣裳替えが

    1.黒地に桜模様



    2.赤字に金の刺繍



    3.黄色と紫のグラデーション



    4.白地に墨濃淡の模様


    まったく違う色が、瞬きをするほどの瞬間で、目に飛び込んでくる。

    これを見るだけでも、見に来たかいがある!と私は感じるのですが。どうでしょうかね?いわゆるマジック!?

    そして「この黄色と紫のコーディネート頂き!」と今後の勉強にも!


    「WEB歌舞伎美人」衣裳の早変わりついてhttp://www.kabuki-bito.jp/special/tepco/28/index.html



    〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    その2 文楽

    東京国立劇場 2月14日(土)

    「何この帯!すごい素敵!」と、

    文楽ファン方がとあるパーティでお声をかけてくださいました。

    そして、この帯の姉妹をご購入くださり・・・


    しからばご一緒にこの文楽の帯を締めまして、文楽へ。


    1度一人でお邪魔をしたこともあり、実は文楽って泣けて、気分解消になるなあと思っていた私。

    でも今回はスペシャルなご好意に預かることに!!

    なんと楽屋に訪問させていただきました。

    そしてかしらを触ってしまった。人形使いさんとご一緒に。


    さらにさらに、その後大夫さんとご一緒にお食事まで



    英大夫さんと。 正直に一言、「口の悪い、大阪人!」です。

    楽屋ではお若い方が多く、どたばたと走り回り、

    また英大夫さんの気さくな性格、

    さらには、人間国宝の大夫さんが普通に舞台が終わるとその辺でたたずんでいらっしゃるのを見るに、

    文楽って、こんなにさばけけていいの?

    多分ね、人形自体に注目が集まるから、みんな肩肘はってないんじゃないのかな?

    そこが彼らをかっこよく見せるのでは?「何様?」と思われるような人間になっちゃあいけないな〜と。勉強をさせていただきました聞き耳を立てる

    英大夫さん、落語とのコラボレーションの会が今月ありますので、気さくさの真偽を確かめたい方はどうかご参加を。
    3/14東京「義太夫と上方落語の会」http://hanabusadayu.com/


    *ちなみに文楽通の方からご指摘をいただき、
    文楽は「文楽を観にいく」ではなく、
    「文楽を聴く」というそうだそうです。
    でも、私はまだ視覚で楽しむ人間のため、
    やはり「人形」を見ちゃってるんですよね〜
    まだまだですな。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    次は難関のお能!

    国立能楽堂 2月26日(木) 

    「間に合います?」とタクシーの運転手さんに急いでもらっていら、

    車酔いに・・・

    だめだ、急いでお能にいって、しかも気分が悪くちゃ、あの気迫にやられる。

    車を降り、1幕目を断念。

    そう、お能は、もっとも精神統一が必要。

    理由は、私にとっては、楽しむものではなく、鬼気迫るものを感じて、気合を入れてもらうものだから。

    ともかく、一番見てみたかった「羽衣」が見られたらいいやと、二幕目から見ることとして、気分をゆったり構え、雨の国立能楽堂へ。

    「羽衣」、、、これを見ようときっかけを作ってくださったのが、

    宝生流の若手さんたち。



    羽衣の天女の衣裳が試着できる会がありました。

    衣裳も記号のように意味があり、この衣裳もわかってないと、お能の物語として読み取るのは難しい・・・

    上半身のキラキラ光る衣裳は、意味としては「裸」なんだそうですポッ

    つまり、天女は羽衣をとられて、バスローブで下半身だけを隠している状況なのです。



    そして何でも質問会。

    この中央でお話をされている高橋 憲正さんという能楽士さん、2代目となんと同い年!

    伺えば、お能の家にうまれ、3歳から能舞台に。

    えらい・・・私は選んでこの道に入ったが、高橋さんは家を継ぐという人生しかなかったのだなあ、と感慨深くて・・・


    その高橋さんをはじめ、宝生流の若きお家元!(23歳)

    羽衣を演じられます 4月24日

    http://www.hosho-wanokai.com/performance/ 

    よければぜひ”着物”で行ってみてらしてください。



    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
    結論


    つまり、私はこの3つとも、

    あまり物語性を追っていないのです。


    そのそれぞれが何百年の年月、追い求めた世界観。

    人間は残念ながら生きられても100年。たった100年でで何が見つけられるだろう?

    でも伝統文化は、その長年の月日と、多くの人の考えが凝縮され、そして租借され、受け継がれている。


    大いなる歴史を持った文化の一端を見せて頂き、自分なりに感じる。

    それが人生の肥やしなり、日常に潤いを与えてくれるのでは?


    伝統的・普遍的な価値観が崩れた現代社会でも、

    通用する大きなメッセージが「歌舞伎」にも「お能」にも「文楽」にもあると私は感じています。

    そして、それは歴史の長さ&携わった人の多さ&その方々の意識の高さが理由かと・・・

    (メッセージをどうとるかは本人次第なので、あえて知識が浅い私の具体例をあげさせていただくのは恥ずかしいので、控えます(><))


    まあ、あまりロジックなことばかりはやめっておいて!


    最後にいえるのは、

    歌舞伎も、能も、文楽も 

    女性ではない人が女性を演じる  (一部女性の場合もありますが)


    それなのに、女性以上に女性らしく見られるのは、

    「着物」という肌をほとんど覆う衣裳が手助けをしていることは間違いがありません。

    だから着物で見に行くのは道理を得ているのでは?

    本物の女性よ、着物を着て、お能へ、歌舞伎へ、文楽へ行きましょう〜


    と、最後までオチもないまま、今回のブログは終了〜

    宗教を持たない日本人のために

    • 2009.02.10 Tuesday
    • 19:19
    外国で頂く困る質問

    「日本人は何の宗教なの?」

    もしこの質問を長引かせたくなく、こだわりがないのなら

    「仏教が多いです」と答えちゃうのが手っ取り早い。

    でも、それだと私は間違っているようで・・・

    「日本人は宗教も持っている人が少ない」と真顔で答えてしまい、

    その後矢のような質問を浴びせさられる

    「どうやってモラルを守ってるの?」ということを意味する質問を・・・


    今回のお習字の展覧会で私が書いた文字は千字文(*)から

    心に残った文章を。


    宗教を持たない日本人の私がいかに自分を律し、モラルを守っているか・・・ その言葉です。




    知過必改   得能莫忘   

    過ちに気付いたら直ちに改めよ 大切なことを学んだら忘れるな


    徳建名立   形端表正

    徳がたしかに定まれば、名声があがり、身体の動きも容貌も端正になる


    特に後の句が私はこう解釈して、自分を律しています。

    ”自分が正しいと思うことを行えば、

    自然と身体が美しくなり、また徳も定まってくる”

    だってそりゃ、年をとれば身体は衰えてくるのですが、なんとか「美」をたもちたいじゃないですか冷や汗

    エステに行かない私の唯一の美顔方法と肝に銘じ、日々行いを正す努力努力ジョギング


    自分の分身を飾るようで本当に恥ずかしかったですが、初の展覧会は終了。

    ご来場いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。


    千字文
    四字一句の250句から成る千字文は,中国梁代に編まれて以来,初学者の識字テキスト,習字の手本として広くあつかわれ,日本でも古くから親しまれてきた.和読・口語訳に,代表的な中国古典より引かれた多くの興味深い逸話を含む

    南アフリカと繋がる着物

    • 2008.12.24 Wednesday
    • 20:11
    3年ぶりにフランチェスかがお店に来てくれました。

    (その時はイベントで参加。アメリカ出身だけど肌の色の違うクリスとベストショット)

    アメリカ人ですが、お父さんはシエラレオネ出身。

    3年前に会った時、シエラレオネに旅すると話していたのでずっとその旅の話を聴きたかった。

    私も色々行かせて頂いておりますが、いまだアフリカは未踏。

    それはノルウェーでアフリカ出身の同級生に現状を教えてもらい、勇気がなくて行くことをためらっているからです。

    シエラレオネは私がしるところでは、イギリスからの独立後も、ダイアモンドが産出されるために、内戦が起こり、たくさんの人々が死んだこと・・・

    いつもニコニコ全てのものを愛し、信じている彼女は「シエラレオネは人生で一番最高の経験をした。楽しかった」と。

    そして「来年はもしかするとガーナ人の彼氏と結婚してガーナに引っ越すかも!」

    すごい! アメリカのカリフォルニア出身で、日本で働く彼女。

    アフリカに住むって怖くないの?と質問すると。

    「私今まで怖いと思ったこと一度もないの」

    え!?「どうしてそうなったか理由ってあるのかな?」と私。

    「多分ね、私は色々なキリスト教や仏教など神様がいるけど、その上のもっと大きい神様がいて、それを信じているから。

    だからキリスト教も仏教も何でも信じているし、人も信じている」

    その瞳はだからそんなに輝いていいて、いつも微笑んでいるのね!


    さて、今日のこの彼女のアフリカ製の生地でつくられたブラウスと私の着物のコート。

    実は同じ技法で作られています!

    それはロウケツ染めなのです。

    インドネシアから広がった技法が、海を渡りアフリカへ、そして日本へ。

    それぞれの国の文化と融合し、このような形になりました。

    文化というのはその国だけで育っていくものではないのです。

    色々の国の文化や風土に触れて、新しい技法・美が生み出される。

    その新しさによって、市民にまた再度受け入れられ、育っていく。

    新しい国の文化は栄養のようなものなのかもしれません。
    (最初の写真を抱えて!だってこの写真私大好きなの。 肌の色は違っても着物が綺麗と思う気持ちは同じ。そして着物もよく似合う!)

    2代目の経歴詐称

    • 2008.11.15 Saturday
    • 12:40
    さかえ屋が50周年を迎えて、ふと自分の経歴を詐称していたことが発覚。

    「今年でお店に入って、4年目だと思っていた・・・」

    まあ、それくらいがむしゃらだったのですが(><)

    来月でまる3年を迎える私。

    いまだに背伸びしている気分はぬぐえないものの、

    少しでも大人っぽく見え、お客様に貫禄をみせたいと、

    髪型を変えて、おでこ丸出しにしたり、着物も地味目を着たり。

    (おでこがいつも光っていますひらめき

    でも、やっぱり中身が一番大切ですよね!


    3年目の評価をいただけるか分かりませんが、先日の会で発表させていただいた私の3年間の着物の勉強の結果を、こちらで今日は紹介させてください!



    「埼玉の着物」

    「呉服業界にお世話になる」と決め、早4年目となります。呉服屋に生まれながらも、それまで着物に興味がなく、全くの無知。現在も「背伸び」を少しでも改善したいと、着物の「勉強」を続けていますが、いったいいつになれば「全て分かった」という達成感がもてるのでしょう?それくらい着物は奥深い。
    (50周年の会での、研究結果発表風景。個々の着物については後日ご紹介させてください)

    1000年以上の歴史を持ち、近代化以前は、それぞれの地域で、その風土や生活に合わせた着物が作られていました。さらには徹底した分業のため、一人一人が仕事に思考をこらし、手が込んでいる。それ故に、種類も多ければ、その元となる考えも深い。どこから手をつけようとかと考え、「地元の事なら、資料も見つけやすいし、関係の方にもお会いしやすいかも」と思い、「埼玉の着物」を調べるようになりました。


    おかげさまでどなたも手をつけてられない領域だったらしく、調べ始めて早々テレビ埼玉さんが、埼玉の本庄織物さんの実演会折に、ドキュメントでご紹介して下さいました。また今年は浴衣の染め、「籠染め」の危機にあたりブログで紹介したところ、お会いしたことのない方々からも共感の言葉をいただき、励まされています。(実際にテレビ埼玉の記者さんも実演体験)



    しかし「埼玉で着物?」と思われる方も多いと思いかもしれません。「埼玉」は「東京」のベッドタウンとしてみられ、伝統文化などの個性に乏しいと思われても仕方ありません。しかし、大消費都市「江戸」「東京」に隣接するという特徴を生かし、その需要を満たすべく、動かない市民はいるでしょうか?目を向ければ、養蚕に不可欠な「桑畑」が十分に確保できる土壌、藍染に必要な「幾筋の川の流れ」。そう、埼玉にも「着物」が存在しており、それは埼玉の人々の暮らしを織り成してきたのです。
     (本庄織物と同じ時期に、実演の会をさせていただいた「長板中型染め浴衣」埼玉県無形文化財 初山一郎作 来年はまた販売を開始させていただきます)

    ここに紹介した「埼玉の着物」は私が調べたほんのごく一部です。「大島紬」や「加賀友禅」など国を代表するような着物はありませんが、この埼玉の風土と歴史を知れば、何かを感じ取っていただけるのではないでしょうか。そして、そこから少しでも着物に愛着をもってくださり、着物が皆様の身近になれば、大変光栄です。


    そして、少しお顔を上げ、本日お集まりの皆様をご覧いただけませんか。埼玉に住む、住まずにはとどまらず、日本の方以外も多くご参加いただいていることをお気づきになると思います。着物の文化力に驚きませんか?このように人種・国籍・言葉・性別・年代を超えて、着物は人々を魅了しているのです。埼玉というミクロな視点から見れば、着物の身近さを感じ、世界というマクロの視点から見れば、着物の偉大さを感じる…

    「着物は身近なもの。身近なものにもかかわらず、世界が注目している」ということが私のこの展示のメッセージです。どうか稚拙ですが、足をとめてご覧になっていただければ幸いです。
    (ごく初期の頃、旧店舗で行われた着物のイベント。あまりにもたくさんの方がいらして、入りきれないのでは?と心配しました。 今のお店は小さくて、こんなには入っていただけないので、とてもいい思い出)

    カンボジアの現在 〜搾取される少女〜

    • 2008.02.29 Friday
    • 17:59
    内戦が終われば、

    すぐに誰もが人間として尊重され、

    かつ、文化的な生活が送れるものではありません。

    戦争は破壊です。

    破壊から、創造し続け、国中に安住たる地に復旧せしめる。

    それには年月が必要でしょう。

    その間、その国の弱者たちは、どのような生活を強いられるのでしょう。

    私はある少女と出会いました。

    12歳の彼女は、栄養不足のためか、日本人の8歳ほどに見えました。

    彼女は私が乗った

    首都プノンペンから、アンコールワットの地、シエムリープまでの船で

    裸足で、外国人相手に、飲み物を5時間売り続けていました。

    日本も戦後そうだったのよ・・・

    今年74歳を迎える母は、私のカンボジアの体験を聞き、自分の幼少時代を話します。

    しらみ駆除のため殺虫剤を撒かれたこと・・・・

    誰もが飢えたい時代、ペットのうさぎが消えた話し・・・

    弟・妹たちを学校に行かせるため、自らは働いた・・・

    私は今、カンボジアで出会ったこの少女についてブログにも記そうとしています。

    この話しを同じ日本人の皆さんが読んでいただけることで、

    この少女と同じような時代を送った日本の諸先輩たちが、

    ここまでの日本を作り、

    さらに、今の私たちに命という「宝」をパスしてくれたこと。

    この話しを書くことで、

    亡き父(生きていれば80歳)や初代や専務(73歳)、そして戦前生まれ全ての人々への

    オマージュになればと思ったからです。

    そして、復興の兆しが見えるカンボジアで、

    今もって貧困と戦う人々、

    声なき声をここに書き記すことで、

    先進国で快適に生きる私に、

    「無為に生きてはいけない」


    と、戒めるために・・・・


    カンボジアの現在 〜搾取される少女〜

    カンボジアの女性は私好みの美しさがある。

    「野性味」を感じるのだ。

    すっと伸びる背筋

    長い手足

    ストレートの黒髪

    黒目がちの瞳

    浅黒い肌

    贅肉の無い顔と体

    ネイにもその美しさを感じた


    ネイは12歳

    プノンペンからシュリムリープに向かう船で出会った。

    この船が外国人向けであるのはすぐにわかる

    片道25ドル。

    カンボジアの公務員の平均月収20ドルと聞く。

    1日1ドル以下で生きるひとが 35%超える国なのだ。

    25ドルといえば、大金だろう。

    ネイは裸足で、

    1本1ドルのコーラ、

    1本3ドルのアサヒのスーパードライを

    船の中の席だけではなく、

    甲板でくつろぐ人々に、

    大きなバケツをもって売り歩いていた。


    どうしてだろうか・・・

    彼女と初めのきっかけは思い出せない。

    前日「ハローマフィア」が居る島に行ったせいだと思う。

    NGOの団体の自転車ツアーでこの島に出向いた。

    その際に、たくさんの子供たちが、

    私たちの姿が見えなくなるまで

    「ハロー!ハロー!」と叫び続けてくれたのだ。

    その時の天真爛漫なカンボジアの子供の子供らしい笑顔を見たいと思い、

    きっと私は「ハロー」とネイに笑いかけたのだと思う。

    それがきっかけとなり、

    私と彼女は笑顔ゲームが始まった。

    彼女と目が合えば、私が笑顔になる。

    ネイも笑う・・・

    でもその笑いが、

    あの島でであった子供たちのようなものではなく、

    どこか瞳の奥に陰りがあり、

    心が痛んだ・・・・


    最初のうち、飲み物の売上は好調で、

    なんどもバケツの中身を

    ブルーのシャツを着たおじさんが追加し、

    彼女は船中の船頭、船尾を巡り、

    さらに、そのおじさんの手を借り、

    子供の歩幅では広くて、

    ともすると、川に転落してしまいそうな

    船中と船外を渡す通路を渡り、

    甲板の前方と後方を売り歩く。

    声を出すわけではなく、

    客の顔を見て回る。

    そのけなげな姿が、

    今も瞼から離れない。

    何周かすると、

    需要はひとまず行き渡ったようで、

    彼女は私の目の前に見える

    座席の裏の一段高くなった小さな隙間に腰掛けた。


    隣にしゃがみこみ、英語で声をかけてみた。

    プノンペンの子供は英語が通じることが多かったが、

    彼女にはほとんど通じない。

    でも、私は抑えきれず、

    一つの質問をした。

    今思うと彼女を傷つけてしまったかもしれない・・・

    「(ブルーの服を着たおじさんを指差し)お父さんなの?」と。

    彼女はにらみつけるようなまなざしで頭を振った。


    そうすると、その男性が現れ、

    飲み物がいっぱい入ったバケツを彼女に手渡した。

    そして彼女はまた売りに回った。


    日本人のセンチメンタリズムなのだろうか、

    日本の放浪大学生と私は彼女を不憫に思い、

    ネイが一息ついたところに、

    お菓子を渡した。

    戸惑う彼女・・

    それをみて私が、

    自分も一つ開けて食べて見せた。

    それを見て彼女も手をつけた。


    そしてまた売りに出かける。

    ついつい目で追ってしまい、

    売れるたびに、

    私の方が、よかった!と飛び上がりたくなる。


    というのは、

    このように大人に指令をされて

    仕事をしている子供の場合、

    売上が不調だと、

    後で大人から折檻される恐れがあるときいたからだ。

    次に彼女が休憩し、

    私が隣に腰掛けると、

    お客さんからもらったのであろう

    オレンジを半分に割り、

    私に渡してくれたのだ。

    (二代目 涙)

    二人で大切に1房を食べる。

    彼女の方が小さい方を選んだのを見て、

    さらに私はいじらしく思い、

    房の袋についた白いものを取り除き、

    (私は小さい頃これを大人にしてもらうのを「美味しいの形」と呼んで、喜んでいたので。

    これをしてもらえることが愛情のしるしだと示したかったのです)

    彼女の口に運んであげる。

    今度は彼女が小さな指で、

    白いものを取り除いて、

    私の口元に一房運んでくれる。

    子供好きの専務(叔父)がいった言葉がよぎる

    「子供は本能で自分を愛してくれる人が分かるんだよ」と。

    思いは通じたのだ・・・

    今回は長くあのブルーのシャツの大人が来ないため、

    私はもっていた紙を破り、

    折り鶴を作ってみた。

    そして一緒にやろうと

    彼女に一枚手渡すと、

    彼女は一生懸命、折り方をまねし、

    作り上げた。

    無駄にニコニコするようなことのない彼女、

    真剣そのもので折りあげ、

    ついに本当に天真爛漫な笑顔をみせてくれた。

    私も嬉しく。

    また一枚。

    今度は別のものを折って、

    まずは見せようと思っていると、

    彼女は私のノートをひっぱり、

    自分用に引きちぎった。


    この気の強さ!

    この行動は私をますます喜ばせた。

    「彼女は育つ人間だ!」と。


    そしてまた、

    彼女はあの男性に促され、

    販売に出かける。

    このやり取りが何回か続いた。

    休憩のとき、

    私が甲板に出ようと、

    手を引を張ると、

    彼女は

    すごい勢いで

    首を振り、手を振り解いた。

    私はすぐに理解できた。

    「休憩で甲板に出ると、

    あの大人に怒られるのだろう・・・」

    と。



    休憩中、私が唯一持っていた写真つきの本、

    カンボジアのガイドブックを見せてみた。

    アンコールワットの写真などのっているので、


    何かコミュニケーションにつながればと思ったのだ。

    彼女は一枚づつめくり、

    そして英語が分かるものはそれを指差して、

    私に言ってくれるのだ。

    「Fish!」

    「Banana!」


    でも・・・一番大きな声を上げたのが

    「Money!」


    「お金!」なのだ・・・

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    船がいよいよ到着地に着く。

    私は心が痛む。

    本当はこのまま彼女を引き取りたいと思ったほどだった。

    でも、私はまだその責任を負えるほどの器ではない・・・

    でも、私がアクションを起こさなければ、

    少なくともネイは帰路で、また仕事をさせられるのだ。





    販売の声がかからない彼女と私はずっと手をつないでいた。

    言葉が通じないので、

    何も話すことができないが、

    私が気遣っていることを分かってもらえたら嬉しいと思い、

    抱き寄せた。


    ふと見れば、彼女の足元にはまだ飲み物の入ったバケツ・・・


    下船間際、中にあった飲み物全てを

    声をかけてくれた韓国の男性とで買い取った。

    彼はボソッといった

    「うちの娘と、同い年なんだよ・・・」


    彼も同じこと心で思っていたのかもしれない。

    「私たちが彼女に今できる最大限のことは、

    彼女を先進国の人たちの渇きを癒す

    この重たい飲み物たちを消し去ること」だと・・・



    そして、私はネイの手を離し、

    船を降りた。


    (カンボジアの悲しい側面を続けて書きましたが、

    子供の就学率も徐々に上がってり、

    復興の兆しが見られていることも付記します)

    カンボジアの過去 〜あなたは死にカメラを向けれますか?〜

    • 2008.02.27 Wednesday
    • 16:51
    カンボジアの歴史をご紹介するには、

    私の知識が十分ではないことを承知しています。

    が、全くカンボジアに今まで関係が無く、

    ご存じない方もいるかと思い、

    少しは私の寄せ集めの知識も参考にしていただけるかと思い、恥ずかしながら少しご紹介を・・・



    9世紀から13世紀 アンコール王朝が栄る
         アンコールワットなどの遺跡もこのころ作られました。

    1866年 フランスが植民地化

    1942年 日本軍 カンボジアに侵攻 実質統治?
     
         (すでにフランス軍はドイツに降伏)

    1945年 日本降伏 カンボジアから撤退
          フランスが再度統治


      〜インドシナ戦争〜

    1954年  フランスから独立  
           新生カンボジア王国誕生 シアヌーク国王

    しかしながら、ここから大変複雑な状況が1993年まで続きます。

    というのは、ベトナム戦争が泥沼化---

    アメリカがカンボジアまで戦闘を拡大


    敵の敵は味方・・・政治的思惑がうずまき、戦いが戦いをという不のサイクルに・・・、

    そして「メコンのヒトラー」と呼ばれるポルポトを生みす


       〜内戦スタート〜

    1970年 カンボジア軍の将校ロンノルが、クーデター

        シアヌーク(ベトコン・中国)
         VS
        ロンノル(タイ・南ベトナム・アメリカ)

    1973年 ロンノル勝利

      その後、ポルポト(クメールルージュ軍)VSロンノル
      という内戦に

    1975年 ロンノルを指示するアメリカなどがカンボジアを撤退
      
         ロンノルからポルポトへ政権が交代


     

     ポルポト率いるクメールルージュの悪の支配がスタート

     ポルポトの正義

     全ての人々が農業に従事し、完全に平等な社会を作るということ。この正義を旗に、彼は教育を受けたものを全て敵とみなし、
     残虐な方法で人々を殺していきます。

     (医者を例に取れば、内戦の終わった1979年には、全国でわずか40人の医者が残るのみ。めがねをかけていただけでも殺されたとという話も)

     1979年までの4年間300万以上の人々が殺されました。

     大虐殺・・しかも同じ民族が、同じ民族を殺すのです。


     

    (大勢の善良な市民が連行され、殺された場所は
      
     キリングフィールドと呼ばれています。
     
     このころはカンボジア各所にこのような場所がありました。
     
     私が訪れたプノンペン郊外のこの場所には、その際に殺された人々の頭蓋骨をモニュメントとして設置、多くの観光客が訪れています。

     私はお亡くなりになれた方にカメラを当てることができず、

     この写真は「観光客がこの残忍さを見に来る」というテーマで唯一シャッターを押させてもらったものです)
       
     1979年 ベトナム軍が支持する「カンプチア救国民族統一戦線」が首都を占領
       「カンプチア人民共和国」樹立

    カンプチア救国民族統一戦線VSクメールルージュ

     1991年 国連暫定自治統治決定

     1992年 国連平和維持軍進駐
        なおも内戦状態継続

     1993年 ポルポト抜きの総選挙
           立憲君主制 カンボジア王国誕生

     1998年 ポルポト死亡 
           ポルポトの腹心投降

       

        〜内戦終結〜

     1998年、そうほんの10年前まで、

    カンボジアは、このような悲惨な日常があったのです。

    (王宮近くにある仏像。
     同じ国民が戦いあう・・・救いはどこにあったのでしょうか?)

    上記の文章は地雷を個人で撤去し続けているAKI RA氏の半生をつづった本を主たる情報源として記入しました。
     観光の図書などでは、現在の外交の都合上、日本軍やアメリカ軍についての標記が省かれていたため・・・)

    「文化」の定義

    • 2008.02.10 Sunday
    • 21:13
    「文化」って一概に言えない・・・

    誰かとお話をさせていただいていても、
    「文化」をどうとらえているかで、全く内容が変わってきてしまう。

    漠然としているけど、とても重要な単語なので、日々気をつけたいなあと思っていたところ、

    置き屋さんのお母さんが、

    ”これは「文化」の説明に的を得ている!”と


    いうお話をして下さったので、

    ここにご紹介をさせて頂きます。


    「文化ってのはね。

    それが何かってわけがわからなくても、

    スっと飲み込めてしまうもの。

    筋が通っているものなのよ!」



    どうでしょう? 私はこの意見に賛成です。

    国際刑事裁判所裁判官 齋賀富美子さんと

    • 2008.02.02 Saturday
    • 18:41
    ノルウェー大使館のお取り計らいで、

    元、駐ノルウェー大使、
    元、埼玉県副知事、
    そして、人権担当大使であり、
    昨年、オランダハーグの国際刑事裁判所の裁判官に選出された地球

    齋賀 富美子
    さんとお話させていただくチャンスを頂きました。

    二代目 「(自分の略歴をお伝えし)私でも日本の女性として、

    何か国際社会に貢献できることはありませんか?」


    齋賀さん 「今で十分やってるじゃん」 (← さばさばして、カッコイイ 話し方)

    二代目 「え? 何か私しています?」


    齋賀さん 「着物でこうやってパーティに来るのも。

    それに、着物を使って国際交流してるんでしょ?

    それだけで日本をPRするという国際貢献してるよ」


    二代目 悲しい (うれし涙)


    今まで、

    ノルウェーで一緒に学んだ友人達が、

    国際機関で活躍している姿と自分を比較し、

    また日本では、働き盛りの年齢で、

    こんな経済活動に貢献していないことしていて、

    果たしていいのだろうか?

    と、思い悩むことが多々ありました。

    ノルウェーと違い、

    資源が乏しい日本では、

    やはり経済的な貢献をしてなんぼ、

    という社会通念があると思うため、

    あせることも、、、、


    世界で認められ、

    埼玉・ノルウェー、そして女性という

    共通項を持つ

    齋賀さんに、

    そんなお言葉を頂き、大きな励みとなりました。




    事実ね。

    この会は日本人の参加者のほうがずっと多く、

    さらに日本で開催されたにもかかわらず、

    着物姿は私一人!だったんです凧

    一方、ノルウェーは・・・・

    男性を含め3名の方が、民族衣装のブーナッドで参加されていました。。。

    がんばれ、着物! がんばれ、日本!

    あなたの幸せは何ですか?

    • 2008.01.30 Wednesday
    • 22:26
    神がかり的なテーマが続きます!?冷や汗

    書き始めると、考えていたことがどんどんでてきてしまい、

    「あ〜。そっか〜。だからアルクさんで書かせてもらっていたとき、筆が進んだんだ。 スパイラル状態だったんだな」と

    今苦笑いをしています。



    〜あなたの幸せは何ですか?〜

    この問いは、

    長い彼と別れ、

    ノルウェーへ留学へ旅立った

    3年前から考え始め、

    深く自問自答しいたものです。




    西洋の幸せと

    私の幸せの違いに戸惑い、

    もがいた留学時代。

    やさしい彼氏がいれば、

    このもがきを

    ぼやかし薄めてくれるでしょう。

    でも、人間は独りで、孤独なとき、

    一番精神的な成長があるのかもしれません。

    私にはそのとき、

    悩みを薄めてくれる彼氏も、

    友達も、家族も遠く離れていました。

    納得できないことを

    独り飲み込まなくてはならいとき、

    よく考えました

    「幸せってなんだろう?」って。

    最近読んでいた本にそのようやくその回答を見つけた気がしたので、

    ここで書かせてもらいました。


    私にとっての幸せは

    「自分の信じる正義に背かずいる」

    ってことだ。


    ルソーのエミール、

    皆さん読まれたことありますか?

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